富士山の西麓、朝霧高原。
親しくさせて頂いているご夫妻宅には、甲斐犬の女の子がいる。とても人懐っこくて、優しくて、でも必要な時には甲斐犬らしい野性を発揮する元気な子。
満月の夕刻、私は、その子と一緒に、散歩に出かけた。
いつもの散歩道を行ったが、途中、その子が違う道を行きたがった。
「帰ろう。」と言えば家に帰る子なので安心していたのと、少し冒険したい気持ちもあって、私は、犬に連れられて初めての道を行った。
サクサクと落葉を踏みながら、美しい木立の中を進んだ。
秋の陽は釣瓶落とし。
陽はどんどん傾いていった。
これも予想していたことだし、手元にはスマートフォンがあったので、さほど心配はしなかった。
しかし、犬に連れられてぐるぐると森の中を歩くうちに、私の方向感覚が狂ってしまった。現在位置が分からなくなった。富士山が見えれば、だいたいの方角は分かるのだけれど、森の中では、富士山が見えるポイントはさほど多くない。
GPSを使うことを考えた。電池残量は38%と多くない。
自分の心と対話する。
まだ、大丈夫。きっとこの子が、家まで連れて行ってくれる。
電池は、大切に使おう、と決めた。
しかし、辺りはどんどん暗くなる。日没時刻は過ぎた。東から昇る満月は、まだ富士山の大きな影に隠れていて、私の居場所を照らしてはくれない。
足下の白い石、本当に時折ある街灯を頼りに、かろうじて進む。犬は、夜の冒険を楽しそうに歩いている。
道が途絶えて、用水路のような場所の脇に出た。意気揚々と進む犬。きっとこの道を知っているのだろうと思い、犬のナビゲーションに任せて歩く。頭上に小枝が被さる。暗くて枝が見えないのだ。
水路を進むと、小さな沢に出た。
2メートルほど岩を降り、沢を横切り、また岩を昇る。まるでトレッキングだ。スカート姿を後悔する。
私は、犬に向かって、泣き言を言った。
「もうやだ!帰ろうよ。帰りたい。」と。
賢い子なので、私の気持ちは通じたようだった。歩くスピードを緩めて私に合わせてくれる。
沢をわたり、用水路の先で、街灯が見えた。家が何棟かある。別荘だ。
ほっとしたのもつかの間、どの家にも明かりはついておらず、車もないことに気がつく。人はいないのだ。
ここは、いったいどこだろう。
来たのは良いけれど、帰らなければならない。あまり遠くまで行き過ぎると危険だ。
でも、大丈夫。
私1人ではない。この子が一緒だから。死ぬことはない。
万が一、本格的に迷ったとしても、夜明かしをして凍死する季節ではないし、この子と寄り添えばいい。動物の温かさを知っている私は、そう思った。
「命まで取られはしない。」って、これまでの人生でも、何度か思ったなあ、と思い返していた。
その時、電話が鳴った。
私たちの散歩が長すぎると心配してくれたのだ。
とりあえず、車通りに出ないことにはお迎えを頼むこともできないので、GPSを使って帰ってみる、また連絡する旨を伝えた。
位置情報を見ると、車通りは案外近く、家まで歩いて20分弱の距離だった。半径1kmは、きっと私とこの子しかいないだろうけれど、案外近くにみんなもいる。
犬に任せて歩いてみた。
さすがの野生の勘で、方向的には合っている。着いていく。
ところが、道の形状がぐるりとしていたため、数百メートル歩いた後、元の場所に戻ってしまった。
私は、再度、スマートフォンを調べた。
電池残量は18%まで減っている。
果たして、車通りに出る道を見つけた。
犬に語りかける。
「こっちだよ。帰ろう。」
車通りまで出た。このまま南に1kmちょっと歩けばいい。時折、自動車が通る。人里に戻ってきた、と安堵する。
その時、再び電話が鳴った。
友人たちの、車で迎えに来てくれるとの申し出に、いったんは「大丈夫」と言ったけれど、甘えさせてもらった。
到着すると、宴が始まるところだった。
ありがとうございました。ご心配をおかけしました。
でも、小学生以来の大冒険は、楽しかった(笑)
自分1人だけど、1人じゃない。
ふと見ると、富士山から満月が顔を出していた。
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